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##伊藤忠記念財団　設立までの流れ

###はじまりは、伊藤忠商事再発足25周年の記念事業

　伊藤忠記念財団の母体である伊藤忠商事は1858（安政5）年の創業以来、「三方よし」の精神のもと国と社会の発展に寄与することを経営理念に掲げてきた。戦後の1949年には伊藤忠商事株式会社として再発足。1974年は伊藤忠商事の戦後再発足からちょうど25周年に当たる年であり、これを機に社会貢献活動に力を入れようと、1970年頃から具体的な新規事業の模索が進められた。

　1970年代初頭は、日本経済が急速に発展する中で、環境破壊や社会連帯意識の低下などの問題が深刻化していた時期である。こうした諸問題は次世代を担う青少年の生活にも影響していた。伊藤忠記念財団設立の構想は、こうした社会の状況下で進められた。はじめにせじまりゅうぞう社長（当時）が青少年のための居場所づくりを構想。その案をもとに、1972年12月14日、伊藤忠商事の業務部が「育英事業について」と題する、いっつうの答申報告書を作成した。その報告書では、「利益の社会還元の一環として、育英事業3案」が提案されており、その案のうちのひとつが「財団法人伊藤忠育英協会を設立し図書館経営を行う」というものであった。

　同年12月20日には、より具体的な「育英協会設立計画書」が提出された。計画書には、「次代を担う小中学生の健全な成長を促進する」目的で、「自宅で勉強する部屋のない小中学生のために、シー、アイ学習センターを設立する。場所は下町または小住宅の密集地域。当初は東京に1箇所。将来は大阪に1箇所」の記述が残されている。

【写真】財団設立時に総理府より1974（昭和49）ねん9月28日付けでじゅりょうした「財団法人伊藤忠記念財団の設立許可について」の依命通知書の写真

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【写真】とざき せいき初代理事長の顔写真。

【写真】財団の設立を案内する挨拶状の写真。1974（昭和49）ねん10月づけで、戸崎誠喜初代理事長名にて発送されている。

###1973年10月23日 「伊藤忠記念財団」事業を決裁

　1973年7月、すいたさぶろう常務を筆頭に「25周ねん記念事業対策委員会」（構成員13名）が結成された。その後、同委員会の社会還元分科会において、「寄附」および「財団設立」を通して伊藤忠商事の利益を社会に還元することを決定。さらに同年8月13日には、総務部より「伊藤忠財団設立構想」が提出された。これは「次代を担う青少年健全育成を目的として文化的なものを主体とする各種の事業と寄附を行い、併せて、当時の社会に対する姿勢を明示する。体育面については、シー・アイグラウンドの一般開放等を持って行い、文化面に限定する」という主旨の構想である。また事業内容についても、「施設は勉強室、図書室、実習室他、事業は設備を利用する事業、設備を利用しない事業（例：社会見学会、野外実習、旅行クラブ）とし、寄附行為も青少年関係の社会事業に対する寄附、海外への留学助成給費」と、いっそうの具体化が進んだ。

　趣旨と事業内容が明確に固まったことを受け、1973年10月23日、えちごまさかず代表取締役社長（当時）が「伊藤忠記念財団」としての事業を正式に決裁。拠出目標額を約10年間で50億円、主要事業として、①青少年の育成に関する公益事業への助成、②学習施設の提供（当面、東京、大阪に学習ビルを建設、青少年一般に開放）、③その他、本財団の目的達成に必要な事業と、大きくみっつのはしらを定めた。
　1974年9月17日、財団法人の設立認可申請が行われた。この申請書の添付資料には事業内容として以下の設立趣意が記されている。

①青少年に関する諸問題の調査研究
②青少年の育成に関する諸事業への助成
③青少年に対する諸施設の提供
④その他、本財団の目的の達成に必要な事業

　加えて、寄付行為についても以下が明文化された。
①青少年問題に関する調査研究
②青少年の健全育成に関する公益事業への資金援助
③青少年に対する諸施設の提供
④その他、本財団の目的の達成に必要な事業

　また、申請に際しては、とざきせいき代表取締役社長（当時）より総理府に対し、「設立当初の理事長に伊藤忠商事株式会社代表取締役社長が就任するとしておりますが、本財団法人の設立が許可されました際には、伊藤忠商事株式会社とは全く別個のものであるとして、公益法人本来の目的に沿った運営管理を行なってまいります」との、いちぶんも添えられた。この申請を受け、総理府より、同年9月28日づけで「財団法人伊藤忠記念財団の設立許可について」の依命通知書をじゅりょうした。

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###1974年9月30日　財団法人伊藤忠記念財団設立

　このような手続きを経て、同年9月30日、「財団法人伊藤忠記念財団」が正式に発足。翌10月には関係各所に対し、戸崎理事長を筆頭に理事7名、常任理事1名、監事2名の連名で挨拶状を送付した。こうして発端となった答申報告書の提出から約2年の歳月を経て、伊藤忠商事に新たな法人が誕生した。初年度は寄付金2億5,000万円を受け入れ、事務所を東京都中央区日本ばしほんちょう2の2おづビル9階に開設し、本格的な運営が始まった。

　財団設立にあたってはいくつかのエピソードが残されている。25周ねん記念事業の内容を模索していた頃、休日出勤した瀬島副社長が日比谷公園で信号待ちしている際、車窓から都立日比谷図書館への入館を待つ長い行列を見て、「日本には勉強したい人間がこんなにいるのに、勉強できる場所がないのか。伊藤忠が昭和の寺子屋を作る！」と周囲に訴えたという話がその一例だ。瀬島副社長は財団初代理事の一人でもある。「昭和の寺子屋」の構想は、その後の「東京小中学生センター」の立ち上げに生きることになった。これは逸話であるものの、新しい世代がより良い環境で育つことができるよう、あらゆる手段の検討を試みる財団の精神の根のひとつとなっている。

伊藤忠記念財団設立の経緯

1972年12月14日 
伊藤忠商事業務部が瀬島副社長に対する答申報告書にて財団法人伊藤忠育英協会の設立を提案。

1972年12月20日 
「育英協会設立計画書」にて「次代を担う小中学生の健全な成長を促進する」目的でシー、アイ学習センターの設立が提案される。

1973年7月1日 
吹田三郎常務を筆頭とする「25周ねん記念事業対策委員会」が結成され、「寄附」および「財団設立」が決定。

1973年8月13日 
伊藤忠商事総務部が「伊藤忠財団設立構想」を策定。

1973年10月23日 
越後代表取締役社長が「伊藤忠記念財団」としての事業を正式に決裁。

1974年9月17日 
財団法人の設立認可申請を行う。

1974年9月28日 
「伊藤忠記念財団の設立許可について」の依命通知書を、じゅりょう。

1974年9月30日 
「財団法人伊藤忠記念財団」が正式に発足。

1974年10月 
関係各所に対し、戸崎理事長を筆頭に理事7名、常任理事1名、監事2名の連名で挨拶状を送付。