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###子ども文庫助成事業への寄稿　子どもに本を手渡す大人の存在　たかはし きいちろう

1969年生まれ。慶應義塾大学文学部図書館・情報学科卒。マギル大学大学院図書館情報学科修士課程修了。2001ねんより、（こうざい）東京子ども図書館と（こうざい）伊藤忠記念財団との共同事業「子どもぶんこプロジェクト」の専任職員として、全国の子ども文庫を行脚した。現在、天理市立図書館館長、（こうざい）東京子ども図書館理事。

【写真】たかはし きいちろうさんの顔写真。

####子ども文庫とその発展の歴史

　子ども文庫はボランティアが運営する私設の図書館です。設置場所は、個人の家、集会所や公民館、スーパーの中、廃車になったバスの車両を使ったものなど実に多様です。

　現在、その数は1,000以上もあり、80年代前半には4,000以上もの文庫がありました。

　子ども文庫は明治時代の後期から見られます。一番古い例は、伊藤忠商事東京本社からすぐ近くの表参道にあったたかぬき少年図書館（1906年開設）です。他にも、大正時代、青森県弘前市の魚屋にあった文庫、原爆で廃墟となった長崎市で生まれた文庫など、いつの時代、どんな場所においても小さな子ども図書館を開いた無名の人々がいたのです。

　一方、公立図書館での児童サービスも明治から大正にかけて各地で始められていました。山口県立山口図書館のさのともさぶろう、京都府立図書館のゆあさきちろうといった人がパイオニアですが、彼らは東京帝国大学やエール大学を卒業し、米国の図書館事情にも通じていた、当時ではエリート層に属する人々です。

　ただ、こうした人々の努力にも関わらず、公立図書館の児童サービスは、戦後60年代まで、大きく拡がりませんでした。けれど、草の根の小さい子ども図書館は着実に発展していったのです。

　福澤諭吉は『西洋事情』で欧州の図書館制度を紹介し「西洋諸国の都府には文庫あり。ビブリオテーキといふ。」と記していますが、日本のビブリオテーキが官のエリートだけでなく民衆によっても発展した、このことは強調すべきことです。

　戦後、子ども文庫は急増し、その数が公立図書館を上回るようになります。70年代半ば、公立図書館数はようやく1,000かんを超えましたが、その頃すでに、文庫は倍の2,000もありました。そして、地域の文庫が連携して文庫連絡会を形成する動きも見られました。

　多くの地域には公立図書館がなかったため（時には書店もなく）、文庫が子どもにとって、本と出会える唯一の場所でした。

　さらに70年代から80年代になると、文庫の人々が図書館設立運動を始めました。議会への陳情、請願などの働きかけを通し、公立図書館も増えていきました。

　このような中、1974年、伊藤忠記念財団は設立され、子ども文庫助成は始まりました。

####子どもぶんこプロジェクトの開始

　私は、2001年4月から、よねんかん、「子どもぶんこプロジェクト」の専任職員として、財団に勤務しておりました。

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　プロジェクトは、（こうざい）東京子ども図書館との共同事業として行われたものです。偶然にも、伊藤忠記念財団と東京子ども図書館は、同じ1974年に設立され、共に30周年を迎えようとしていました。そして、プロジェクトの目的は、両者が長年深く関わってきた子ども文庫について、その果たしてきた役割や意義を再確認することにありました。

　プロジェクトは当初3年の予定で、初年度の2001年度はアンケート調査、2年目からは現地での聞き取り調査、そして、最後にその結果をまとめた報告書の作成という計画でした（結局1年延びて、プロジェクトは2004年度まで実施されました）。

####アンケート調査と当時の文庫の状況

　プロジェクトでは、まず初めにアンケート調査を行いました。

　それまでも財団では、助成対象となった子ども文庫やおはなしグループなどを職員が訪問し、その後の活動を確認するフォローアップ調査をしていました。しかし、この訪問は、助成の、じゅりょう決定から2年後に行われるものでしたので、もう少し長い期間経過したあとの追跡調査をして、文庫助成事業を評価しようという狙いがありました。つまり、事業を評価する客観的エビデンスを確認したかったのです。

　そこで、アンケート調査の対象は、1974年度から2000年度までに、伊藤忠記念財団の子ども文庫助成に申請した文庫、子ども文庫功労賞を受賞した方々の関係する文庫など、のべ932の「子ども文庫」「文庫連絡会」「お話・読み聞かせグループ」となりました。

　アンケートには、594カ所から回答があり、明らかになった当時の状況は、次の3点でした。

1、文庫に来る子どもが大きく減っていること

2、子どもの減少と、世話人の高齢化で、文庫をやめるケースが増えていること（活動中止の連絡があった文庫は71カ所）

3、文庫の減少とは反対に、読み聞かせグループ等の実演グループが急増していること

　活動を中止した文庫には、かつての助成先も少なからず含まれていましたが、このことは、財団のしゃうらみちお事務局長（当時）にとっては、たいへん大きなショックだったようでした。しゃうらさんが長年いらっしゃった商社の世界では、投入した資源（インプット）と、そこから生み出される利益（アウトプット）とのバランス―生産性―は常に厳しく査定されます。具体的な数値として示される営業成績が低ければ、事業は中止となります。そして、アンケートによって示されたのは、正に、投入した資源が十分に活用されていない可能性を示す、負のエビデンスであったのです。

　松岡先生は、たとえ文庫がなくなっても、何年間か開かれていた間に、そこに通い、本のたのしさを知った子どもたちの中に残った体験、記憶はなくなることはないと、繰り返しおっしゃっていました。ただ、おそらく、しゃうらさんが（そして私も）この先生の言葉を理解できたのは、全国行脚を始めてからのことだったのではないでしょうか。

####全国行脚へ

　アンケートを終え、私たちは、各地の文庫を訪ね、聞き取り調査を行う「全国行脚」をすることになりました。この文庫訪問では、2001年の時点で、すでに30年か、それ以上活動を続けていた計90カ所の文庫を巡りました。

　旅のメンバーは、松岡先生、しゃうらさん（途中から財団の事務局長を引き継がれたみぞぐちさん）、東京子ども図書館の職員（または研修生）の方1名、そして私です。

　私には、フィールドワークの経験がなく、当初、聞き取り調査がうまくいくかどうか心配でした。しかし、文庫の人は皆、私の質問に、ひとつひとつ丁寧に答えてくださいました。

　おひとりおひとり性格や話し方は違うものの、語られるお話は、どれも興味深いものばかりでした。文庫を始めた経緯。あまりにも多くの子どもが来て、本棚が空っぽになった開設当初のこと。毎週やってきた子どもたちのこと。文庫を支えてくれた家族や近所の人たちのこと等、話は尽きませんでした。かつて文庫に通っていた子ども―もちろん今や立派な大人―が、インタビューに同席されることもよくありました。

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####活動を中止した文庫を訪ねたこと

　この行脚では、すでに活動を終えた文庫を訪ねることもしました。

　文庫活動をやめる、といっても、その理由はいろいろありました。子どもの減少以外に、文庫を開いていた施設の閉鎖、ご自身の健康の問題、家庭の都合など、個人ボランティアだからこその理由も数多くありました。近所に公立図書館ができたことをきっかけに活動を終える文庫もありました。

　すでに活動を終えた文庫に行く意味はあるのか？当初は、そう思っていましたが、途中から、逆に、そうした文庫にこそ行きたくなってきました。

　もはや子どもが来なくなった小さな図書館には、書架とたくさんの本がそのまま残されていました。棚いっぱいに並ぶ子どもの本は―そこには財団の助成金で購入した本もありました―通ってきた子どもたちの体温や、そこで流れた時間をそのまま保存しているようでした。

　毎週一番乗りしてきた子ども。お目当ての本を選ぶと、部屋の片隅でしずかに読んでいた子ども。いつも兄弟揃って訪ねてきた子どもたち。野球の練習のあと、ユニフォーム姿のまま文庫に飛び込んできた子ども。文庫の方が語る子どもたちが、まだそこにいるようにも感じました。

　また、どの文庫にも、かつては、たいへんな数の子どもが押し寄せてきたようで、そのことは、大事に保管されていた貸出ノートや図書カードから分かりました。

　文字が色あせて茶色くなっている紙の記録は、単なる貸出・返却のデータではありません。そこには、戦後、岩波書店や福音館書店といった出版社から生み出された絵本や読み物が、どのように東京から地方に渡り、子どもたちに受容されていったのかが、克明に刻まれていたのです。綴じ糸が取れてボロボロになった「かしだしノート」は、大げさではなく、戦後の児童文学や子どもの読書史を語るうえで一級品とも言える記録だったのです。

　こうした様々な記憶と記録は、小さな手作りの図書館が、いかに子どもに愛され、地域の人たちに見守られてきたのかを、声低く、しかし、はっきりと証言していたのです。

####エビデンスをこえるもの

　「かつて助成金を提供した文庫が無くなった。」客観的な事象としては、そうであり、助成事業の妥当性はないと判断されるのかもしれません。

　もうお亡くなりになったので確認しようもありませんが、社浦さんは、当初、アンケートで得た数値的なデータ―例えば、助成金で購入された本の冊数、助成先の文庫の総貸出冊数、総来庫者数など―をまとめ、それを根拠に、財団の成果をアピールなさりたかったのではないでしょうか。

　しかし、社浦さんは（当然、私も）いくつもの文庫を訪ねる中で、そうしたデータでは証拠づけられない大切なものの存在を、認めることができたのではないでしょうか。そして、松岡先生がおっしゃっていた、文庫がなくなっても、そこでの体験、記憶はなくなることはない、ということを深く感じ、先生の言葉を心の中に納めることができたのではないかと思います。

####読書のエビデンスとは？

　そもそも読書の効果は、具体的に測ることができないものです。

　人が本を読んでいる時、その人の心の中でどんなことが起こっているか、それは目に見えません。

　本を読むことが―特に物語を読むことが―いつ、どのように読む人の人生に影響を与えるのかは予測できません。もちろん、その効果を数字であらわすことはできません。

　読書がそのようなものである以上、本を手渡すことを目的とする子ども文庫や図書館が社会にもたらす“よいこと”は、数値化できません。

　当然、読書推進活動を支援する事業もまた、その成果を数値で示すことは困難です。自然科学研究への助成なら、研究成果がはっきりと出ますが、読書活動への支援は、効果の測定が難しいのです。

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　一方、これ程長い年月、子どもの読書推進の支援を継続してこられたのは、伊藤忠記念財団の他にありません。国内全体が、経済的な成果を求めて進んでいた時代、財団は、一貫して、数値で評価される世界や競争から自由でいられる子どもの居場所づくりの支援をしてこられました。そして、そのことは本当に誇ってよいことだと思います。

####現代の文庫を巡る状況

　少子化だけでなく、現在の子どもを巡る状況は、文庫活動にとって好ましくないものばかりです。子どもの安全を守るために、小学校の集団下校が一般的となり、昔のように、下校途中に子どもが文庫に立ち寄ることも少なくなりました。個人で運営している文庫に子どもが訪問するに際しては、保護者の理解も必要になるのかもしれません。

　ただ一方で、子どもの居場所づくりへの関心が高まっています。本の貸出しだけでなく、乳幼児や障害児向けのサービスの提供を始めたり、NPO法人格を取得した文庫もあるようです。

　電子図書館も急速に広まっています。著作権の問題で、市販の電子書籍を文庫で貸出すことはできないので、文庫活動に直接関わってはきません。ただ、電子書籍が持つ特殊な機能―文字サイズ、文字間・行間、書体の調節機能を使えば、紙の本を楽しめなかった子どもにも読書の機会を提供できます。財団のマルチメディアでいじー図書「わいわい文庫」は、こうした特性をうまく活用し、広く利用されています。

　電子書籍についての研究も進んでいます。デジタル機器上での読書が、子どもの読解力にどんな影響を与えるのか、紙媒体での読書との差の有無等、理想的な電子書籍の開発をされているかたも増えています。今後、こうした研究への助成もあれば良いのかもしれません。

　明治から現代まで、子どもと本の楽しさを分かち合いたいと思う大人は、ずっと存在し続けました。将来、子ども文庫という呼び方は変わるかもしれませんが、本を手渡す大人と子どもとの関係は、ずっと続くでしょう。そして、伊藤忠記念財団が、これからも長く、こうした草の根の読書活動を支えてくださることを願っております。